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熱田神宮

熱田神宮(あつたじんぐう)は、愛知県名古屋市熱田区にある神社である。

祭神は熱田大神であり、三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ。天叢雲剣)を神体としている。同項に詳しいが、剣は壇ノ浦の戦いで遺失したとも神宮に保管されたままとも言われている。

相殿に天照大神、素盞鳴尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命を祀る。

創建は不詳だが、景行天皇朝には、すでに土着の信仰神として存在していたらしい。

官幣大社、式内社(名神大)で、建物は伊勢神宮と同じ神明造であるが、1893年(明治26年)までは尾張造と呼ばれる独特の建築様式であった(氷上姉子神社に尾張造の建築様式が残っている)。社務所に当たる組織は熱田神宮宮庁と呼ぶ。その他施設に、宝物館、熱田神宮会館、能楽殿。熱田神宮の敷地内には愛知県神社庁がある。

東海道名所図会に、熱田大神宮と記載される。

海道記に、熱田の宮の御前を過ぐれば、とある。

東関紀行に、尾張の國熱田の宮に到りぬ、とある。また、

或人の曰く、「この宮は素盞嗚尊(すさのをのみこと)なり、初めは出雲の國に宮造りありけり。八雲立つ〔(*「)八雲たつ出雲八重垣妻籠に八重垣つくる其の八重垣を(*」)(古事記)〕と云へる大和言葉も、これより始まりけり。その後、景行天皇の御代に、この砌(みぎり)に跡を垂れ給へり。」と云へり。又曰く、「この宮の本體は、草薙と號し奉る神劒なり。景行の御子、日本武尊と申す、夷(えみし)を平げて歸りたまふ時、尊は白鳥となりて去り給ふ、劒(つるぎ)は熱田に止り給ふ。」とも云へり。と記載されている。

祭神 [編集]
熱田大神(あつたのおおかみ)とは草薙剣の神霊のこととされるが、明治以降の熱田神宮や明治政府の見解では、熱田大神は草薙剣を御神体とする天照大神のことであるとしている。しかし、創建の経緯などからすると日本武尊と非常にかかわりの深い神社であり、熱田大神は日本武尊のことであるとする説も根強い。

相殿には、天照大神、素盞鳴尊(すさのおのみこと)、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命(たけいなだねのみこと)と草薙剣に縁のある神が祀られている。素盞鳴尊は、ヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から草薙剣を発見し、天照大神に献上した。天照大神は、その草薙の剣を天孫降臨の際に迩迩芸命(ににぎのみこと)に授けた。日本武尊は、草薙剣を持って蝦夷征伐を行い活躍したあと、妃の宮簀媛命のもとに預けた。宮簀媛命は、熱田の地を卜定して草薙剣を祀った。建稲種命は宮簀媛命の兄で、日本武尊の蝦夷征伐に副将として従軍した。


歴史 [編集]
第12代景行天皇の時代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定の帰路に尾張へ滞在した際に、尾張国造乎止与命(おとよのみこと)の娘宮簀媛命(みやすひめのみこと)と結婚した。草薙剣を妃の手許へ留め置いた。日本武尊が能褒野で亡くなると、宮簀媛命は熱田に社地を定め、剣を奉斉鎮守したのが始まりと言われる。そのため、三種の神器のうち草薙剣は熱田に常に置かれるようになり、伊勢神宮に次ぐ権威のある神社として栄えることとなった。

大宮司職は代々尾張国造の子孫である尾張氏が務めていたが、平安時代後期に尾張員職の外孫で藤原南家の藤原季範にその職が譲られた。以降は子孫の藤原氏・千秋氏が大宮司、尾張氏は権宮司を務める。なお、この季範の娘は源頼朝の母である。

明治元年(1868年)には熱田神社から熱田神宮に改め、明治4年(1871年)5月14日、熱田神宮は官幣大社に列格した。「三種の神器の一つを祀る熱田神宮は、伊勢神宮と同格であるべきだ」という主張が熱田神宮の中にはあり、同年7月には大宮司・千秋季福が伊勢神宮に準じた待遇にするよう国に請願し、却下されている。次に大宮司となった角田忠行も同様の請願を続け、明治22年(1889年)までに伊勢神宮に準じた神璽勅封・権宮司設置などが認められた。

それまで熱田神宮は尾張造という尾張地方特有の建築様式で建てられていたが、明治22年、伊勢神宮と同じ神明造による社殿の造営が計画された。また、熱田神宮の国への働きかけにより、明治23年(1890年)9月、社格を離脱して伊勢神宮と同格にする旨の勅令案が閣議に提出された(案の段階では熱田神宮を「尾張神宮」に改称する事項も含まれていたが、これは外された)。しかし、この勅令案は否決され、熱田神宮の社格の件は従前の通りとすることとなった。その背景には伊勢神宮の反対があったという。神明造による社殿の造営は進められ、明治26年(1893年)に竣工したが、この社殿は太平洋戦争の空襲により焼失した。

昭和20年(1945年)の終戦直前、神体である草薙剣を守るために飛騨一宮水無神社への一時的な遷座が計画されたが、8月15日の終戦により一時中止された。しかし、今度は上陸したアメリカ軍に神体が奪われる虞があるとして、8月21日、陸軍の協力を得て計画通り神体が水無神社に遷された。同年9月19日に熱田神宮に戻されたが、そのときにはすでに陸軍は解散していたため、神職が鉄道で移動した。社殿は伊勢神宮の式年遷宮の際の古用材を譲り受け、昭和30年(1955年)10月に再建された。新しい建物のため、文化財に指定されていない。

年表 [編集]
<>は関連事項

113年(景行天皇43年):日本武尊が能褒野で薨去する。
195年(仲哀天皇4年):火上姉子神社が創建される。
668年(天智天皇7年):草薙剣が新羅の僧道行により盗み出される。
686年(朱鳥元年):草薙剣が熱田神宮へ戻される。
708年(和銅元年)9月9日:八剣宮が創建される。
712年(和銅5年)1月28日:<「古事記」完成。>
720年(養老4年):<「日本書紀」完成。>
927年(延長5年)12月26日:<延喜式完成。>
967年(康保4年)7月9日:<延喜式施行。>
1382年(永徳3年):火上姉子神社で火災。地名を火高(ほだか)火上から大高氷上へと改める。
1839年(天保10年)1月19日:八剣宮の御神体を妖僧が盗み出すも未遂に終わる。
1868年(明治1年)3月:<神仏分離令>
同年6月:神宮号を宣下される。
1871年5月14日(明治4年):<社格制度制定>
1893年(明治26年):神明造に建て直される。
1945年(昭和20年):5月17日:空襲による被害を受ける。各種社殿、国宝海上門を焼失。
同年6月9日:空襲による被害を受ける。
同年7月29日:空襲による被害を受ける。国宝鎭皇門を焼失。
同年8月21日:御神体を水無神社へ遷す。
同年9月19日:御神体が熱田神宮へ戻される。
同年12月15日:<神道指令>
1955年(昭和30年)10月:再建される。
1963年(昭和38年):高座結御子神社が再建される。
2007年(平成19年)10月:本殿の改修に伴い、御神体を仮殿に移す。

皇族の御親拝・御参拝 [編集]
2005年(平成17年)今上天皇・皇后(2005年日本国際博覧会行幸啓の折)

祭事 [編集]
6月5日の例祭(「尚武祭(しょうぶさい)」「熱田まつり」とも称される。)を最大規模の祭事とし、年間を通して以下の祭事が行われている。

1月
歳旦(さいたん)祭(1月1日)
元始(げんし)祭(1月3日)
初えびす(1月5日)
世様(よだめし)神事(1月7日)
踏歌(とうか)神事(1月11日)
封水世様(ほうすいよだめし)神事(1月12日)
歩射(ほしゃ)神事(1月15日)
2月
紀元(きげん)祭(2月11日)
3月
祈念祭(3月17日)
御田神社祈念祭(3月17日)
春季皇霊祭遥拝(しゅんきこうれいさいようはい)(春分の日)
氷上姉子神社太々神楽(最終週の日曜日)
4月
幼児成育祈願祭(4月3日)
5月
舞楽神事(5月1日)
酔笑人(えようど)神事(5月4日)
神輿渡御(しんよとぎょ)神事(5月5日)
豊年祭(5月8日)
熱田講社春季大祭(5月9日)
御衣(おんぞ)祭(5月13日)
6月
高座結御子(たかくらむずびみこ)神社例祭(6月1日)
例祭(6月5日)
献茶祭(6月5日)
献花式(6月5日)
南新宮社祭(6月5日)
御田神社御田植祭(6月18日)
大高斎田御田植祭(第4日曜日)
大祓(6月30日)
7月
御井社(みいしゃ)祭(土用入の日)
鈴之御前(れいのおみやまえ)社祭(茅の輪くぐり)(7月31日)
9月
秋季皇霊祭遥拝(しゅうきこうれいさいようはい)(秋分の日)
10月
氷上姉子神社例祭(第1日曜日)
新嘗(にいなめ)祭(10月17日)
御田神社新嘗祭(10月17日)
熱田恵比須講社大祭(10月20日)
11月
熱田講社秋季大祭(11月1日)
明治祭(11月3日)
奉賛会大祭(11月3日)
献詠祭(11月3日)
12月
農業感謝祭(12月20日)
天長祭(12月23日)
御煤納(おおすおさめ)神事(12月25日)
大祓(12月31日)
除夜祭(12月31日)

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2009年04月13日 07:22に投稿されたエントリーのページです。

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